森町の明治町は、文字通り明治時代に作られた町。当時、警察署などが置かれ、いわば森町の官庁街であった。
この町で浪曲「森の石松」の枕詞がはじめて披露される。
「昭和七年三月、森町茶業青年研究会というグループが結成され、島房太郎が初代会長に就任した。
研究会では、現状の不況を打開して森の茶に販路開拓を強力にすすめなければならないと話し合い、森の茶の宣伝を行うこととなったが、普通の手段では駄目だど、当時の大衆娯楽の王座を占めていた浪曲の歌の中に「森の茶」を謳いこむことが出来れば、全国津々浦々にまで森の茶の名前が行き渡るだろうと考え、当時の浪曲界の人気ナンバーワンであった広沢虎造使に、浪曲の枕の詩として、森の茶を入れてくれるようにと依頼した。(中略)
島房太郎は、苦心の末、一遍の枕の詩を書き上げた。
秋葉路や花橘も茶の香り
流れも清き太田川
若鮎踊る頃となり
松の緑も色さゑて
遠州森町よい茶の出処
娘やりたやお茶摘みに
ここも名代の火伏せ神
秋葉神社の参道に
産声あげし快男児
昭和の御代まで名を残す
遠州森の石松・・・義侠伝
昭和九年三月、森町明治座で「石松義侠伝」の初口演が二日間にわたって行われた。「遠州森町よい茶の出処・・・」の一節が虎造の名調子に載って場内に流れた瞬間、会場は町民の熱狂的な感性で充満した。四十銭だった前売り券は完売であった。
清水次郎長外伝「森の石松」は、虎造師の朗々たる名調子にのって、口演により、レコードになり、ラジオによって全国に流れ「森の茶」の声価も全国に宣伝されていった。」
雑誌「ぱんぷきん」より
写真は明治三十年頃の森町の絵地図。警察署は今の元一森医院の場所にあった。中村座とあるのが明治座。小学校は今と同じ場所にある。
今の明治町通り、右側附近に明治座があった。