2009年05月31日 06:15
遠江国の国府
遠江の国の国府、いわば昔の県庁所在地は磐田にありました。国分寺のちょうど南の延長線上の今の磐田駅の南側の御殿とよばれている場所で、すでに発掘調査が済み家康の「御殿」の遺構の下からその遺跡がでてきているようです。「大之浦」の水運を使って台地の南端であるこ...
遠州の小京都「森町」の季節の話題や出来事を思いつくまま、気の向くままに伝えたい。みんなに「元気の素」を届けたい。
2009年05月31日 06:15
遠江の国の国府、いわば昔の県庁所在地は磐田にありました。国分寺のちょうど南の延長線上の今の磐田駅の南側の御殿とよばれている場所で、すでに発掘調査が済み家康の「御殿」の遺構の下からその遺跡がでてきているようです。「大之浦」の水運を使って台地の南端であるこ...
2009年05月29日 00:51
磐田市役所裏にある遠江国分寺跡。奈良時代の天正13年(741年)聖武天皇は穀物の不作や疫病の流行により、仏教の力をかりて国を助けようと全国の国ごとに僧寺や尼寺を造るように命じています。当時、遠江国の国府があった磐田にこの国分寺と国分尼寺が建てられていま...
2009年05月28日 00:54
藤三郎が明治16年に氷砂糖の製法を発見したのち、その工場の建築に取りかかる。しかし、新工場と言っても当時の金額で3千5百円という多額の費用が必要となる。この費用を支援してくれたのが、「福川泉吾」で後に共同で周智高校を創立している。福川氏はもともとは古着...
2009年05月27日 00:35
わが町森町の主要産物であるお茶は江戸時代末期、横浜開校以来生糸につぐ重要な輸出品であった。慶応4年の森町村18人の商人の出荷高を調べると時価にすると約20億円にのぼる。(昭和61年で推計)当時、横浜で活躍した森出身の茶商の代表的な存在が「村松吉平」で、...
2009年05月26日 00:48
我が国の製糖業の開祖というべき「鈴木藤三郎」については、我が町森町の出身の偉大な先人である。数多くの特許発明をし日本の産業界の開拓者の一人であったが我々の世代は知らないことが多い。「藤三郎」は、安政二年(1855年)に森町森(今の本町)に生まれた。父は...
2009年05月25日 00:54
今日は町内会の環境美化の日。水路の清掃や草刈りを行いました。水路も最近では暗渠排水路のところが多かったり、高齢者の方が多くなり側溝のふたが上がらないということで清掃ができなかったり、行わなかったりすることがあるようですが、下流にきれいな水が流れるように...
2009年05月25日 00:38
狛犬が山犬であることを確認したくなって、再び春埜山へ行ってきました。今回は、屋久杉を見たことがある先輩といっしょでした。山道を走ること車で45分、春埜山に着きます。入り口には鳥居があり、これもお寺なのに・・・と思いました。境内にはいいり大杉が見えるとみ...
2009年05月23日 00:38
大杉を見に春埜山大光寺を訪問したとき、大きな鳥居があり「お寺なのに・・・」と思っていました。お稲荷さんだから本堂前に座る狛犬も狐かなと思い、豊川稲荷に行く機会があったので比べてみたものでした。どこか違うなと思いつつ、18日の静岡新聞を見ていると、「細身...
2009年05月22日 00:11
相良の友人が相良油田について資料を送っていただきました。相良油田の発見は村上正局氏で、事業化したのは石坂周造氏でした。この2人はともに徳川幕府の家臣で、新しく石油開発という大事業を興すだけの資金はありませんでした。そこで石坂氏の熱意に傾倒して莫大な資金...
2009年05月21日 00:48
森町で凧と言えば「森のブカ凧」であり、文化年間に土屋氏の嫡子の誕生を祝ってあげたのが始めとされる「武家凧」という説や「ブカブカと上がるからブカ凧」という説もある。「森のブカ凧」は意外にわからないことが多く、特に江戸時代のことはほとんどわからなかった。こ...