周智農林と倉敷商業

GAIAさんが掲載している「私立周智農林学校の序」に「備中倉敷の素封家大原孫三郎氏、巨万の財を抛って、地方公共の為農学校の経営を企画せりと聞き、・・・」とある。
大原孫三郎氏は大原美術館を建設、倉敷の町はこの美術館があったため、太平洋戦争の戦禍をのがれたという話もある関西の大財界人であり、報徳の実践者として知られる。
「私立周智農林学校は、福川泉吾、鈴木藤三郎両氏が推譲の一端として、地方公共の為設立せられたるものにして、此度御企画の大原農学校と其性質を等しうせるものに有之候。」と記している。
結局大原孫三郎は、農学校をどうも作って居らず、作ったのは大原農業研究所を作っているようだが、実際に作ったのは、1902年商業学校でそれが野球で有名な倉敷商業だという。
周智農林学校は1906年創立しているが、建学の基礎はどちらも「報徳」にあったようだ。
GAIAさんの私立周智農林学校の記事はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/201009090002/
周智農林と倉敷商業
  写真は旧周智高校の校訓「誠実」、報徳の教えの内のひとつに「至誠」がある。


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