縁の下の力持ち

以前「二の舞」のことえ紹介した語源ハンター「わぐりたかし」さんの「地団駄は島根で踏め」に「縁の下の力持ち」の語源が紹介されている。
これがなんど「四天王寺」にあった。
「地元大阪で『天王寺さん』と呼ばれて親しまれている『和宗総本山四天王寺』。・・・・ここで毎年10月22日に『縁の下の力持ち』の言葉に由来にもなった伝統の秘議「縁の下の舞」を見ることができる。関東では「縁の下」とくれば「力持ち」とつくが、上方いろはかるたでは「舞」だ。それが変化して「縁の下の力持ち」になった。」
この舞の行われる場所がわれわれが奉納する会場となった太子殿(聖霊殿)で、聖霊会に次ぐ大法会として太子殿の前庭で行われているんだそうだ。正確には経供養「椽(えん)の下の舞」で「椽」とは垂木のことを指すんだそうで、この舞は秘儀として非公開であったことから「見えない」意味と太子殿の椽の下の庭で行われていることから俗に「椽(えん)の下の舞」と称されてきたそうなんだ。
わぐりさんよれば「この『秘儀』というところがポイントだ。・・・四天王寺太子殿の縁の下(軒先)の庭で、非公開で密かに行われた。そのことから、「人に知られずに大切な仕事をしていること」のたとえとして、「縁の下の舞」という言葉が生まれた。人に見られていようがいまいが、大切なこと、やるべきことを、しっかりとやりつづける。四天王寺の舞は、その模範であった。・・・「縁の下の舞」という言葉は、上方のいろはかるたに採用されて広まり、・・・尾張名古屋あたりから、「縁の下の舞」が「力持ちに変化していった。「椽の下」から「縁の下」になったことで、縁側の下がイメージされ、見えないところで重い家を支えると言う連想から、「力持ち」になったではなかろうか。」としている。
縁の下の力持ち

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