森町変遷雑記〜仲横町4

中村秀吉翁が綴る明治の森の物語。
「御宮も一時天宮神社境内へ移したる事もありし(明治七年浜松県令による)も後十二年復帰す。」
 明治時代、廃仏毀釈や学校令などわが町にも影響を及ぼしますが、地域が助け合って乗り越えていきます。
「夫れと反し明治五年学校令発布あり。教授は無論之に基づくも、校舎は皆急場の用に寺院其他の建物を用ひ居たる桟(折)柄、旧森丈けにて此山を二段に切り開き、上段に一棟、下段に一棟の二大校舎を建設し、中央部は大梯子段を以上段下段相通し、梯子段中部の屋上は涼段とし、涼段には大太鼓を備え一般へ時報を為(す)。森市街は勿論西南方一望の元に眺められ学校を草ヶ谷及山梨方面より遠方すれば殆と白の天主台の如くにて鴻大なる美観たりし。
 殊に建築用材は現今に得へからさる視殊(みごと)なる桧材のみにて殆と又なき立派な建設にて、現在七十四、五才前後の老人連、小学は此校にて修業したるに、惜むらくは明治十九年失火にて焼失致したり。」
 森町は、いち早く教育に重点を置き、学校建設などを行います。その象徴が「森町学校」の建設です。
天守閣ような学校が今の三島神社の中段に作られています。
森町変遷雑記〜仲横町4




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