村松吉平氏
村松吉平氏は、天保12年3月2日森町に生まれます。実家は森町本町(今のシルバー人材センターのある場所)です。森町の茶商は、横浜港開国と同時にお茶の貿易を始め、全国に先駆けて活躍をしますが、吉平氏もその中の一人でした。
村松氏は、製茶の不振の原因を商法の拙劣にあると感じ、しばしば横浜に出向き、貿易を学びます。明治2年弘明商会が設立されると製茶貿易に全力を尽くし、明治5年独立した製茶店舗を開き、休みなく働き大きな富を手に入れます。これが森町(周智)の茶貿易の始まりで、明治明治十年には森町森及び森町三倉に紅茶製造所を設立します。
そればかりではありません。村松氏は手に入れた富を油田開発に投じます。
明治維新で活躍した山岡鉄舟氏の義弟石坂周造氏が相良油田の開発を行います。
相良油田は、太平洋側で唯一の油田で現在の牧之原市にあります。この油田は、明治5年村上正局(まさちか)によって発見され、翌6年から石坂周造によって採掘がされました。石坂氏は日本の石油採掘の先駆者であり、「石油」の名付け親でもあります。この石坂氏のよき協力者であり、相良油田の事業を支えたのが、森町出身の「村松吉平(吉兵衛)」氏です。明治14年に亡くなられていますが、同17年に相良油田の功労者として石坂周造氏により碑が建てられました。この碑は今も市内の小堤山公園に建てられています。また、森町庵山公園にも山岡鉄舟の題字により顕彰碑が建てられています。
村松氏は、茶などの輸出など先駆けとして横浜にも支店を出したばかりでなく、相良油田の開発を私財をなげうって行い、産業の発展に尽力しました、
私たちの先人たちはいろんなことに挑戦し、私たちの時代に新しい道を開いています。
参照:静岡県茶業史ほか
村松吉平氏