森町の茶商の足跡を求めて

森のげんき屋

2018年02月13日 23:45

昨日、横浜へ行ってきました。
茶産地森町の茶商は開国と同時にいち早く横浜に出て茶貿易を開始しています。このうちの一人村松吉平は明治5年横浜に進出、目覚ましい活躍をします。この事実を確かめるため、横浜の開港資料館を訪れました。短い時間でしたが、横浜市史や横浜茶業誌に彼の名を見いだすことができました。
また、彼は茶貿易で大きな収益を得ますが、当時徳川幕臣らによって手掛けられた相良油田の開発に資金援助をします。しかし、志半ばで明治10年に早死します。彼の偉業をたたえ、山岡鉄舟の題字による石碑が牧之原市の小堤山公園と森町の庵山公園に残されています。

今回の訪問は私のブログを見た吉平氏のご子孫の方から連絡をいただき、実現しました。詳しく横浜市内をご案内いただきました。新たなご縁に感謝です。横浜港
左中央付近が茶商が店を構えたと考えられる区域。
この付近に森町の茶商たちは住んでいた。横浜開港資料館
資料館の場所はあのペリーが上陸した場所。写真の木は下の絵に描かれている。戦争ど焼かれるが、再び芽を出し成長、今もこの資料館の庭に植えられている。

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