藤三郎と勝太郎(その1)

先日、5年ぶりに台湾を訪問しました。
森町ゆかりの鈴木藤三郎翁(台湾製糖株式会社初代社長)と藤江勝太郎翁(台湾桃園初代茶改良場場長)の足跡を求めて、高雄市・糖業博物館や桃園市・茶業改良場を訪れました。記録としてまとめてみました。

              藤三郎と勝太郎
~訪問記「台湾に産業の種を撒いた男たちの足跡を求めて」~

1 横浜開港と森町の茶商たち
江戸時代の末、安政6年横浜港が開港されるとお茶は生糸に次ぐ輸出品目となった。 開港とともに、まず横浜店を出したのは駿府(静岡)商人で、その後地方からの茶商たち も軒を並べ競い合った。その中で活躍したのが森町の茶商たちであった。横浜茶業誌に は、寺田房太郎など森町ゆかりの茶商たちが名を連ねている。 特筆すべきなのが村松吉平で、彼は慶応3年に横浜に出て、茶商 鈴木利兵衛のもとで働き、明治2年鈴木とともに弘明商会に参加、 明治5年には元浜町2丁目に独立して店を持ち、有力な売り込み 商となった。明治 10 年には森町及び三倉村(今の森町三倉)に紅 茶製造所を設立している。(※横浜茶業誌及び静岡県茶業史)その 後、吉平翁は、相良油田の開発に当たり、巨額の資金を投じ石坂 周三らを助けた。しかしながら、志半ばにして 40 才の若さで生涯 を閉じる。彼の残した功績は大きく、今も庵山公園には山岡鉄舟 の題字による顕彰碑が残されている。

森小学校の北側ある庵山公園に残された山岡鉄舟題字の村松吉平翁の記念碑。
藤三郎と勝太郎(その1)


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