鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会

28日(日)、森町・随松寺で「米欧旅行日記」を読む会を開催した。
昨年の浅羽北公民館での講演会のテキストとして、二宮尊徳の会のが「補注 鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』」を読むを作成していただき、いつかこのテキストを使って、鈴木藤三郎の実業家としての原点というべき「米欧旅行日記」をみんなで読んでみようと思っていた。また、藤三郎翁の菩提寺である随松寺でかつて100年前に森町の報徳の仲間が開催していた集まりのようなことができないか考えていた。
かねてから住職にお願いしていたが、今回この場を用意してくれた。
台湾へ行った仲間とか以前講演会に参加していただいた方などに連絡しておいたが、浜松や浅羽などからも参加していただき、また、私より若い仲間もたくさん集まっていただき、とてもうれしく思いました。
「米欧旅行日記」は、藤三郎翁が明治28年に東京に日本精製糖株式会社を設立、その1年後に同社の専務取締役として、機械の買い付けと先進地である米欧等の視察に行ったものである。
ハワイ、米国、イギリス、ドイツ、シンガポール、台湾などの旅先での記録を読み上げるとともに、二宮尊徳の会が注釈としてあげてくれた、米国観、英国観、ドイツ観などを輪読した。台湾では、森町の出身で台湾茶の振興に当たった藤江勝太郎氏について、台湾通であるM氏より桃園茶業試験場などについて話していただいた。台湾の主要産業である砂糖、樟脳、茶のうち2つまでは森町出身の人によって産業発展の種が蒔かれていると台湾の友人が話をしていると紹介があった。また、勝太郎氏が藤三郎より10歳も若いということもあった。
神戸港につき、知人に電報を打ち、世界の旅が終了する。
みんなで輪読し、興味深く聴いていただいた。
住職から藤三郎や報徳にまつわるの紹介があった。本堂の天井にある天蓋が鈴木藤三郎氏の会社の番頭であった方から昭和29年に送られており、また、本堂に掲げられた自画像や藤三郎翁の像の元となった小さな像も見ることができた。
終了後、有志でひさびさに藤三郎翁、福川泉吾翁の墓、福寿観音の参拝をした。
とてもいい顕彰の場だった。再度こうした機会を持ちたいと皆さんにお話をした。
この場を提供していただいた随松寺、そしてこのテキストを作成していただいた二宮尊徳の会に深く感謝申し上げます。
鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会

鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会
本堂に掲げられた藤三郎ゆかりの天蓋
鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会
藤三郎翁が自ら描いたものであろうか
鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会

鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会

鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会


同じカテゴリー(藤三郎物語)の記事
秋葉神社に初詣
秋葉神社に初詣(2023-01-12 20:07)

鈴木藤三郎も展示
鈴木藤三郎も展示(2022-12-28 20:52)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
鈴木藤三郎の「米欧旅行日記」を読む会
    コメント(0)