100年前に烏龍茶に挑戦した男

100年前に烏龍茶に挑戦した男
        ~台湾烏龍茶の種を蒔く~
             藤江勝太郎

 藤江勝太郎氏は慶応元年9月20日に森町城下に生まれました。
 藤江氏は、紅茶技術の向上をいち早く唱え、明治20年に清国上海に渡り、紅茶製造の伝習を受け、又、台湾にも足を運び、烏龍茶の製法を伝習します。この視察記事を茶業組合中央本部に提出し、静岡に紅茶及び烏龍茶伝習所を設け、一方で明治22年5月森町内に日本烏龍紅茶株式会社を設立します。当時伝習所の生徒が500人以上に及び、米国へ紅茶を輸出するまでになり、内国博覧会へも紅茶・烏龍茶を出品、好評を博しています。
 さらに明治28年には台湾総督府民政局技師に任じられ、37年には桃園茶業試験場に勤務、第1人者として活躍します。そして、43年には日本台湾茶株式会社取締兼技師長となり、台湾茶の品質向上を図ります。
 当時、台湾茶はインド・セイロン(今のスリランカ)などに比べ、品質が劣っていましたが、技術向上を図ることで台湾茶の確立を進めました。台湾の主な産品のうち、砂糖と烏龍茶の二つに森町の先人たち(鈴木藤三郎と藤江勝太郎)が大きく関与していたのです。 藤江氏は後に周智郡茶業組合長となり、その後郷里森町の町長を務めています。
(参照:静岡県茶業史ほか)
100年前に烏龍茶に挑戦した男
藤江勝太郎氏


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