浜松報徳館で話をしてきました

昨日、浜松報徳館で西遠連合報徳社12月例会が行われ、私が講師として招かれ、「鈴木藤三郎」について話をしてきました。報徳関係の各代表者の方を前に、私などがお話するのは余りにも場違いではありましたが、「鈴木藤三郎」の偉業を知っていただきたいという思いと諸先輩の皆様との出会いから「安居院庄七翁」「小野江善六翁」などのお話や遠州の報徳の歴史について、情報交換ができるのではないかと伺いました。
参加者は約20~30名で、報徳訓を読み上げてから会はスタートしました。私の講演では、用意していたパソコンの調子が悪く、結局、今回出版した第1集「報徳産業革命の人 鈴木藤三郎」と「海を越えた産業革命の父」を資料として説明をしました。ドタバタしてうまく話ができませんでしたが、参加の皆様方には真剣にお聞きいただくことができ、感謝しています。会長から報徳二宮神社への報徳文庫の寄贈について、お話をいただき、藤三郎の偉業を評価されたことはたいへん喜ばしいことでした。
報徳館前にある「安居院庄七」の碑には遠州七人集の「山中」「中村」名前が刻まれ、森町出身の報徳社徒「小野江善六」については報徳館裏にその碑があり、「森町山中豊平第六子」の文字がありました。

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この記事へのコメント
講演お疲れ様でした。報徳館は小野江善六が幹事を勤めた浜松第一館だったんですね。「小野江善六翁」の立派な碑に納得できました。第二館が袋井の見付にあったとありますが伊藤七郎平の遺跡は残っているのでしょうか。山中報徳三兄弟が遠州の報徳運動を支えたのだということをこのところ史料を整理してつくづくと思います。安居院翁の碑に案内されて一緒に見れてよかったです。感謝します。
Posted by gaia at 2011年12月12日 22:18
山中先生に聞くところによれば、磐田に残っているそうです。この会の会長さんもそのことをご存じで皆さんに説明されていました。
第2館は磐田の見付ですね。
Posted by 森の元気屋 at 2011年12月13日 22:17
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