Rさんの訃報を聞き、暫く時間がたった。
その後、台湾の仲間とも連絡が取れ、少しずつ情報がわかってきた。余りに急な話だったので、嘘であって欲しいと願っていたが、時がたつに連れ悲、つらい現実を知ることとなった。
C先生から、追悼文集を作成するので寄稿することとなった。とても光栄なことであり、快く了解した。台湾の仲間たちは、いつも驚かせてくれる。中国語は書けないが、Lさんたちが翻訳してくれるという。昨日は、その原稿に没頭した。
C先生から次のようなメッセージがあった。「日語はRさんの宝物です。長女が父さんの友達は日本人であることを誇りに思って、日語の感想文は一番いいです。」
そう私も友達に台湾の仲間がいることを誇りいに思っています。
はじめてあったときのツーショット、左営駅にて
大切な台湾の仲間たちといっしょに、左端がRさん。